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【 泉インター店 】 仙台の別名は

人口100万人超、東北随一の仙台市は「学都」「楽都」などの別名で呼ばれることがありますが、とくに広く知られている別名は何と言っても「杜の都」でしょう!

 

中央にかすかに中心地のビル群のシルエットが…。手前は楽天2軍球場、泉インター店隣です。

季節柄、緑たっぷりの写真が…。?

 

 

東北の中心地、経済的にも発展した都市でありながら、市街地にもが多くとてもステキな街並みで…

ところで

」ではなくなぜ「」なのか?

実際には「の都」と記されている文献は1909年(明治42年)、「の都」と記したのが1916年(大正5年)がも古いと言われております。

漢和辞典によると

○「」は主に“多数の樹木が生い茂る場所”で

○「」は“山野に自生する落葉果樹。ふさぐ。とじる。”

…とやはり意味が違うのでした。

江戸時代 仙台藩祖 伊達政宗公は荒れ野を切り開いた土地のため、家臣に饑餓に備え屋敷には粟や梅・柿などの実がなる木を植えること、隣との境界には杉を植えることを奨励し(屋敷林)、広瀬川を中心にその河畔や青葉山をはじめとする自然林が融合し、仙台の街を緑色濃く一体のものとしていきました。

前述の様に「」は自然の樹木ですが、そこに各々が屋敷を囲むていねいに手入れをする緑が合わさり、街全体が緑を取り入れた「杜の都」が形成されました。

この人々の想いは、戦火で焼け野原になった事でその復興過程の街づくりにおいてより強いものとなり、青葉通り定禅寺通りなどの街路樹、青葉山公園西公園と言った仙台をイメージさせる景色を創り上げることになりました。

近年、こうした街路樹立ち枯れなど今までの眺めに変化をもたらしてきています。近代化・合理化だけでなく、私達の子や孫の世代にも今まで通りの「杜の都」を受け継いでいきたいですね。

ショールームも自然と緑が多くなります。

 

※1970年(昭和45年)制定の市民憲章から「杜の都」と記されて以来、市は公文書でも統一表記しています。

※「」は自然の森林ではなく、“鎮守の森”(神社その周辺をなどを取り囲む様に維持される森林)を意味し、この地においては松島の国宝?瑞巌寺を鎮守神とするいわれもあります。

 


 

…と長くなってしまいましたが

そんな仙台の今がギュッと詰まった情報誌が今月号で661号を数えるご存知「せんだいタウン情報S-style」です。

グルメ情報歳時記として(私は)重宝しておりますが、1月号94~95ページをご覧ください。

なんと泉インター店のブログも担当しているセールススタッフの遠藤新型RVR とともにクールな表情(カメラマンの“黄昏れた”感じでとの指示で戸惑ったようでしたが、本人はいたって朗らかな遠藤です)で泉郊外を散策しております。

新しくなったタフなSUVRVR”が気になった方は(もちろんスタッフ遠藤のことも)

試乗車もスタンバイの泉インター店にてお会いしましょう!

《 ?泉インター店 ブログ担当 1号 阿部 ?》